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母 最終章


 

母について語ることもこれが最後です。

自分の母(私の祖母)が生きた93歳は超えるのだと言っていた母は90歳を目前に逝ってしまいました。
若い頃は美人だった(と他人様が言っています)母 は、厳格な父に見初められて結婚しましたが、口やかましさについては世間に名高い姑には気に入られず、苦労の連続だったと周囲から聞いていました。

私の記憶の中には祖母についての記憶は薄く、父も職人気質で厳格でしたが母に対しては優しかったと思います。ただ幼い頃、一緒に入ったお風呂の中で泣いていた母をみて、原因も知らないのに、父を心よく思わなかったこともありました。

姑も父も亡くなった後は一人暮らしの寂しさはあっても、日々の暮らしは隣近所や親戚の暖かい手助けをうけ、時折帰って来る子供や孫に会えることを楽しみにしている、そんな心安らかな20年であったのではないかと思います。

しかし、歳をとり一人で生活できなくなり子供の世話を受けざるを得なくなった時からまた別な苦労をすることになりました。
 

今まで近くに住んでいながら母が元気なうちは自分の都合のよい時に帰り、いつ帰っても常に2〜3品のおかずが出てくるのが当たり前だった実家に休みの都度帰って、食事の世話をしなければならなくなった当初は 、兄妹への苛立ち、不満等ありましたが、だんだんと弱く、小さくなっていく母をみて一番長く母のそばにいられる自分は幸せ者だと思えるようになりました。

今まで身の回りのことは自分ひとりでやれた人が、人に任せなくてはならなくなったときにどうすればよいかわからなくてパニックに陥り、痴呆状態になることも知りました。

子供にとって親から「世話をかけるね」「ごめんね」というような言葉を聞くことほど辛いものはないですね。親にはいつまでも強く上からものを言ってほしい。

近所のおばさんから、「親がいる間の実家で、いなくなったら帰ってきたくても帰れなくなるよ」とよく言われていましたが、実感です。

会いに行けば子供のような笑顔を見せてくれた母を思い出しながら、納骨堂の前で話しかけています。

 

「孝行したくないのに親がいる」私の従妹が送ってきたメール

父の弟で今まで母や近所の一人暮らしの老人の面倒を見ていた叔父が痴呆状態になり、埼玉にいる娘が引き取り、現在家族みんなで一生懸命世話しています。先日半年振りに実家につれて帰ってきたのですが、朝から晩まで着替え・食事・排便等手のかかる状況をみてたまにはこんな気持ちになってしまうかも知れないと思いました。


「歳に不足はない」年取った医師の言葉

母に回復の兆しが見えない時、回診してきた老医師の言葉です。
年中生死とかかわっている人にとっては当然至極のことのようですが、子供にとって親にはいつまでも生きていてほしいものです。これだけ生きたからもう良いということはありません。

いままで、のほほんと生きてきましたが、母を通じて人との出会いや別れ、喜怒哀楽の多さ・激しさ、思いがけないことが多すぎることを実感しました。

でも、気持ちひとつで明るくも暗くもなる。

これからものほほんと生きていきましょう。

 

byマリン


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